退院日(2)帰宅
2020年6月に卵巣破裂→緊急搬送→摘出手術。その体験を書いています。
↑この続きです。
緊急搬送されてから、8日目で退院となりました。
迎えにきてくれた夫と病院を後にし、
夫の運転で家に帰りました。
家に着くなり、ああ…やっぱり家は落ち着くわ…とすぐ寝てしまった私。
目覚めて、昼食。
帰宅途中にコンビニで買った、パンやらなんやらを食べました。
食べながら、改めて夫に感謝を伝え、入院中の話をベラベラ話しました。
そして、手術の話になった時、
あることがふと頭をよぎりました。
そういえば摘出されたランラン(両方の卵巣)とカンカン(両方の卵管)って、どんな状態だったんだろう?
破裂した右のランラン1号は、どんな形をしていたんだろう?
…と思うと同時に、言葉が口から出ていました。
記憶にありませんでした。
多分、自分の話したいことで頭が一杯になっていて、
夫の話をさも聞いているように頷きながら
右から左に流していたと思われる。(よくやる)
それにしても、
私のランラン達を夫は見れて、
持ち主の私が見ることができなかったなんて…
更に詳しく話を聞くと、
手術室から摘出された卵巣と卵管が運ばれて来た時、
「見てみますか?」と夫は聞かれたらしい。
そして夫は、じゃあちょっと見ておくか、くらいの軽い気持ちで見たらしい。
…私だったら
私だったら!
ランランとカンカンに詫びと感謝と別れを告げ、
その姿が視界から消えるまでしっかり見送ったであろうに!
…という訳で、なんともいえず悔しい。
悔しいけど、仕方がない。
そう、これは仕方がない話。
夫が私の代わりにランラン達を見てくれて、
感想を伝えてくれただけでも(今回で伝えたのは2度目らしいが)ありがたいことだと思おう。
ランラン達は摘出後そのまま病理検査に出されたので、
術後の1ヶ月検診でランラン達の画像を見られるはず。
1ヵ月後に、じっくり見よう。(画像だけど)
ほどなくして、
息子が高校から帰ってきました。
夕方になり、娘も中学校から帰ってきました。
息子同様に、
「ごめんね、心配かけたね、いろいろありがとね」
の言葉を用意していたのですが…
夫や息子は、そんなことは全く気づきもしなかったです。
かくいう私も。(自分の顔なのに)
用意していた「ごめんね心配かけたねいろいろありがとね」の言葉は、娘にはかけられませんでした。
まあいいんだけど。
夕飯は、私の母が作って持ってきてくれた料理を食べました。
「術後の体を甘くみてはいけない」と言って、
退院後も1週間毎日夕飯を届けに来てくれました。
ただただ、ありがたい。
退院した日、
家族に、取り巻く環境に、
どれだけ自分が支えられているかを痛感。
感謝しかない…
「退院翌日~ホットフラッシュ?~」に続きます。
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「おまけ通信」
後日娘に、「退院してかけられた言葉が、顔の肌つやのことで驚いたよ」
と言いました。
娘は、「おかえりと言うつもりだったんだけど、あの時は本当に肌がピカピカしていて驚いたんだよ。かけるはずの言葉がふっとんだ」
と言いました。
入院中は病院食以外は食べず、
そして心に少しばかり悟りを開いたような感じでもいたので(気のせい?)、
肌つやが良かったというならばそれは、
心と体から毒素が抜け出た状態だったからかもしれん、と思っています。
退院後は食べたい物を好きなように食べ、
悟り心と俗の心の間をウロチョロしているうちに、
あの肌のピカピカは消え去っていきました。
短かったわ、輝く素肌の期間。
ここまでお読みくださり
ありがとうございました(^-^)
ウチ ウメコ
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